売れるパッケージの秘密~成功事例に学ぶデザインの力~東京販売士協会主催
ボクは昔、パッケージのことが死ぬほど嫌いでした。
それは、パッケージのことを
「ゴミ製造業」「環境破壊業」だと思っていたからです。
2024年11月28日(木)
売れるパッケージの秘密
~成功事例に学ぶデザインの力~
東京販売士協会主催セミナーにて
登壇させていただきました!
この日も会場には
40名以上の方がお越しくださり
メディアも3社やって来てくださり
大盛り上がりです。
この日、セミナー本番も盛り上がったのですが
質疑応答が30分間もあり
こちらも盛り上がることになりました。
その中で、多くの方に
「あの受け答え、ものすごい印象に残りました」
と言われたのが
Q 松浦さんの事業継承した思いと、そして事業変革して来た思いは何ですか?
という質問。
ボクの返答はこんな感じでした。
事業継承については
小学校のころから
「お前が引き継ぐんだ」と洗脳されていたので
全く、抵抗はありませんでした。
一般企業で5年ほど修業して
27歳の時にパッケージ松浦に入社。
その時の営業手法は
「安くします」営業。
まあ、卸売業界だったので
ごくごく、一般的な営業手法だったのですが
「A社長、その袋、
安くしますので見積りさせてください」
といって、注文を取ってくる。
でも、安くできないパッケージも
もちろんある。
そうすると
「おい、松浦君、高いやないか。
他に業者はなんぼでもあるんや。
高かったら切るで」
といわれるようになる。
頭と価格だけを下げるようになる。
そんな仕事が嫌になってきたときに
決定的なお客様の一言。
「松浦君の会社って
ゴミ、作ってるようなもんやな」
ガーーーン。
この一言で
「ああ、うちはゴミ製造業であり
環境破壊業なんだ」
と仕事が嫌になった。
仕事が恐怖になったんですよね。
この価値観が変わったのが
2011年の東日本大震災。
日本全国のスーパーやコンビニから商品が消えた!
この時、お菓子や豆腐や弁当は作れなかったのか?
・・・いえ、作れたんです。
じゃあ、なんで
日本中から商品が消えたの?
それは、プラ袋が作れなかったから。
当時、プラスチックの原材料を作る工場が軒並み被災。
通常、プラスチック製の袋は
2~3週間くらいでできます。
でも、その当時は
3ヵ月経ってもできないような状態になったんです。
その時に気づきました。
ああ、パッケージがなければ
お客さまは商品を出荷できない。
パッケージは日本の物流を支えている
素晴らしい誇り高き仕事なんだと。
そこから、パッケージが大好きになり
パッケージマーケッターとしての道を歩み始めたんだと。
セミナーが終わったとの懇親会でも
「いやー、あの話がよかった」
といろいろな方が言ってくれました。
このような誇り高いパッケージ道を
これからも突き進んでいきたいと思います!
御参加くださった皆様!
ありがとうございました。
この記事を書いた人
パッケージマーケッター 松浦陽司
1974年、徳島県徳島市生まれ。著書「売れるパッケージ5つの法則と70の事例」と「売上がグングン伸びるパッケージ戦略」を出版。パッケージマーケティングの創始者。パッケージの企画やデザインだけではなく、商品開発の根幹であるブランディングも行い、多数の成果をあげている。中身商品は同じでも、パッケージを変えただけで売上10倍になったり、単価が5倍になったりする事例を生み出している。その他、執筆活動、講演活動なども行う。ブランド・マネージャー認定協会2級&1級&ミドルトレーナー。